雨ニモ、負ケズ。

人生は、逃げてばかりじゃ勝てないんだね…

実家が、母が、つらい

あんなに家族が好きで、実家に帰るのが楽しみで、母親とも仲が良く話をしていたのに。

すごくつらい。母親と話すのが苦痛だ。耳が遠くなった母に、同じ話を繰り返すのが苦痛だ。狭い世界しか知らないくせに、まるで自分が正しいかのように発言する母を見るのが苦痛だ。今までずっと正しいと信じてきた母が、実はそこまで正しくなかったと気付いてしまってから、話すのが苦痛だ。

そして…両親に一種の反逆のような、こんな思いを抱いてしまう自分の存在が苦痛だ。

 

色々の自己分析をして、私が自分の性格・行動に自信が持てなくなったのはこの母親に対するもやもやが影響しているのではないかと思う。もう一つはADHD、という自分ではどうしようもない特性だ。それについてはまたいつか書こうと思う。

 

彼女の言葉は呪いだった。いつまでたっても心に突き刺さる呪い。付きまとって離れてくれない呪い。幼少期、存在を認めてくれるはずの大人であるべき母親の、否定の言葉は苦しい苦しい呪いだ。自分が乗り越えるしかないのに、私にはまだできていない。

昔、母から受けた呪いについて、言われて嫌だったことを話してみたことがある。結果は彼女は何も覚えていなかった。酷い言葉をかけた本人は何も罪悪感なく20年余り過ごしてきたんだ。しまいには「そんなことまだ気にしてたんだ」なんて言う。ああ駄目だ。ひどく感情的な文章になってきた。本当に、つらい。

 

遅めの反抗期だね、とカウンセラーさんは言った。不思議と一番、腑に落ちた説明だった。いわゆる思春期に、反抗しなかった余波が今に及んでしまっているらしい。母親の存在が悪影響を及ぼしているだなんていっそ気が付かなければ、こんなつらい思いをしなくてよかったのかな?ずっとただ母親だけを信じていれば良かったのかな?

ああ遅すぎるよ反抗期。もう社会人になるというのに。もう子供ではないのだ、残念ながら。

こんな人、世の中にどれくらいいるのだろうか?親とこじらせてしまって、前に進みたいのに進めなくなってしまった人。少なくともここに一名。ご安心くださいね。

 

一番の解決策は、物理的・精神的に距離を置くことなのかな…

感情的になってしまって結局言いたいことが言えなくなってしまう。また今度、落ち着いて自分の気持ちを整理してみよう。

回=回ライブに行ってきました。

まずは、明けましておめでとうございます。

このブログを始めて3年目になるらしい。半年に一つのネタしか書かないので果たしてブログと言えるのか…。まあいいのだ。すべては自己満だ。

 

さて、本題だ。

生まれてこの方20と余年、私は初めてライブというものに参加してきた。日時は2019年1月14日だったのだけれど、しばらく気持ちの整理がつかなくて、どうしていいか分からなくて、現実だったのか否かすら不安で落ち着くまで待っていたら一週間も経ってしまった。今でも落ち着いていないが思っていることを全て書けるのは今しかない。書くぞ。

 

「回=回」は核P-MODELというバンドのライブである。私はメンバーの平沢進さんという形容し難い人物に、痛く感動してしまった。いてもたってもいられず卒論の第一稿締め切り2日前だというのに東北から東京にて行われるこのイベントに参加したのだった。正直不安だったが、卒論は書き上げたし、後悔は何もない。

ライブに行く、というとみんな誰?と聞いてくれるので素直に答える。「ヒラサワススムさん」。反応は様々だ。「誰?」「知らない」「おじいさんだね」「し、師匠!」今となってはすべての反応に共感できる。

私はいわゆる馬の骨(ファンのことをこう表現するらしい)になったのは2年前のカナダ留学中に見たパプリカ(筒井康隆原作/今敏監督)という映画を見てからだ。ここで馬骨道にハマった人間が多いと聞く。納得だ。最初に聞いた時、知らないアーティストさんだなぁ誰だろう?と思った。ググって画像を見たり動画を観るとまずその格好の良さに痺れた。年齢不詳の64歳(どういうことやねん)らしいが言われないと分からない。いや、未だに信じていない。というかそもそも人間なのかな?

そして平沢進さんの愛称に「師匠」というものがある。私はまだ恐れ多くてその愛称を使用したことがないのだが、近い将来、言ってみたいな、と思っている。

 

本題と言いつつまたずれた。ライブについて書きたいと思う。

会場は、豊洲PIT。初めて来た豊洲。市場は閉場していた。海が近くて、ただただ感動していた。完璧におのぼりさんである。開場は18:30だったものの、2時間早く着いてしまう。人気のショールなどを買う予定はなかったので実際手持ち無沙汰だった。それでもせっかくなので手ぬぐいとメモリアル・カードを購入。手ぬぐいはびっくりするほどかっこよくて、購入した自分を褒めてあげたい気分だった。メモリアル・カードはただただ楽しみ。

今回困ったことはなにぶん一人で参加したため、話し相手がいない。一人でいる馬の骨さんに話しかけたかったが、通報されても怖いし静かにしていた。時間つぶしにTwitterがあって本当よかったと感じた日だった。ちょくちょく辺りを見渡すと会人さんがいる。なんというハイクオリティなんでしょう。ショールやグッズを身に着けている人が多い。馬の骨さんってみんなハイセンスなのかしら。全身ユニク■の私は恥ずかしかった。ようしもう気にしない…と、耳を澄ますと、リハーサルが聞こえる。高まってきた…。

ようやく18:30になってスタッフさんが点呼をしてくれる。しかし15分ほど会場が遅れた。東京なのに以外に寒くて、気持ちは最終的に会場に入れれば御の字という気分になってた。数千人を相手にするスタッフさん、お疲れ様でした。しかしこの点呼がすごい。10人ずつ呼ばれるのに自分は2000番台。泣きそうになるのをこらえてひたすら待った。ドキドキが止まらなかった。健康を考えて、アクエリアスを買って会場へ。

 

人がゴミのようだった。

背が低いので背伸びしてもステージは半分見えない。どうしよう楽しめなかったら…。こんなふざけたことが頭の中をぐるぐるしていた。

 暗闇になり、ヒラサワさんが、会人さんが入ってくる。

「あ、本物だ。実在したんだ」こんなことを私は呟いたように思う。ツイッターで拝見しているのとは違い真っ白な御髪。自然すぎて怖いわ。肩から上だったけれど、ちゃんとライブ中は顔を拝めたので良かった。ふう…。思い出すだけで何かを叫びたくなる。格好良かったなぁ。

曲が始まり、大音量が観客に押し寄せてくる。圧倒されすぎて、息が出来ない。走馬燈も見た。絶対死んだ馬骨さんいると思う。私は正直、平沢進名義の曲が好きだった。核P‐MODEL名義である「回=回」のアルバムも購入したが、曲調に上手くなじめないでいた。しかし、しかしだ…モノホンが生で歌う曲たちのあまりの壮大さに、美しさに、一瞬で脳細胞が乗っ取られた。ライブ以降、回=回の曲は毎日聞いているし、入浴中も、通学中も、動いている時は基本口ずさんでいる。単純?いや皆がこうなるはずだ。

さてさて、ライブの感じが分かってきた。動いている。ヒラサワさんが動いているぞ。会人さんたちのノリ方かわいいなぁ。そうやって感じてればいいんだ。次第に馬骨さんたちとも息があってる気がしてきて嬉しかった。

「遮眼大師」という曲がある。これはヒラサワさんの懇親のマントラをこの身に受けることのできる素晴らしい曲だ。二回目のマントラの時、ヒラサワさんは観客からみて右側に寄って放ってくれた。私の居た側だ。これは絶対目が合った気がするぞ…。そんな幻想に囚われてしまうほどドキドキした一場面だった。

 

アンコール。ずっと拍手をしているのに来ないので今日は終わりなのかしら…。とか馬骨の風上に置けないことを考えていたら来ましたアンコール。宅オで聞いていた曲だったのでノルことができた。みんなで合いの手を歌えたのは楽しかったなぁ。ヒラサワさんがどう思っているのはさておいて。

とはいえ。あっという間だったな。あーあ。終わっちゃった。さみしさが広がっていく。終わってみるとめちゃくちゃ暑い。すごい熱気だ。この中一人で歌い続けるヒラサワさんは凄すぎる。やはり人間じゃないか次元が違うのだろう。

 

ライブ後、そく夜行バスで東北へ戻ったため、あまり余韻に浸ることが出来なかった。というより、終了直後は興奮しすぎて記憶が曖昧だったと思う。泣きたくなる瞬間が多々あった。新宿まで電車で向かいながら、または夜行バスの中で、どうしようもなく泣きたくなってしまった。確かな理由は分からないのだけれど。一晩経ってふつふつと思い出が沸き上がってきた。そして一週間経ってようやく言語化出来るようになったのだ。うむ。言語化したといってもかなり散らかっているが、この瞬間の思いは留められそうだ。

ファンになるほど傾倒出来るものがある喜びを知った2019年1月だった。機会があれば、チケットが獲れれば、また平沢進さんのライブに行きたいと思う。それまでに立派な馬の骨になるんだ!(決意)

過去とはなんだ

過去とはなんだ、本当に私が体験した過去は実在したのか。

確かに存在する気はするのだけど、そこに私は本当に存在していたのだろうか?

 

最近、そんなことばかり考えてしまう。ふと振り返るとき、そこにあるのは確かにあった過去の映像と虚無である。写真などをみれば、私は過去のある時点のある場所に確かに存在していたのは理解できる。だって証拠はあるのだから。しかし、わたしの精神、気持ちを考えた時、納得がいかないときがあるのだ。そう、確かに覚えている。あのときあんなことをして、あんなことを話したね、なんて。でも実感は無である。悲しくもないし答えを求めたいわけではない。ただただ不思議なのである。

 

理由として、私が過去に興味がなくなってしまたことが考えられる。昔は、過去にとらわれていた。というのも、人に自分がどう映っているか、何を求められているか常に考えていた。そんなもの、自分には要らない。捨てよう、と思ったのはいつの頃だろうか。そうして自分の思うように、自分を信じてあげられるように、生きていこうと思った結果、私はそれまでの過去に別れを告げてしまったようだ。恐らく。

自分らしく生きていかなかった過去でも、楽しいことはあったはずなのに、虚無のような、遠い国の物語のように感じてしまうのは、少し、少しだけ悲しい。かも。

 

五分前仮説というのがあるように、だれも自分の過去について、確信を持てない。あなたの過去は、本当にあったのかしら、、、

オランダ出身の女の子

名を、スーザンという。

これは愛称なのだが、ここではスーザンでいきたいと思う。

 

彼女とは、カナダに留学中に出会った。私が苦労してやっと入った語学学校の上級者クラスに彼女はいた。19歳でGap yearを使ってカナダに2か月滞在していたらしい。

正直に言おう。私は最初、彼女が怖かった。というのも、当初私が海外に滞在しているのに欧米人は日本人を馬鹿にしているのではないか?というくだらない偏見がまだあったのだ。彼女が私に優しくしてくれるのは英語がつたない私に気遣ってくれているのかな、と思っていた。…勿論そういう面はあったと思うが、彼女は全ての人に優しく愛し愛された。彼女は欧州人に多いベーガンで、いわゆる菜食主義だ。動物を殺して食べるのがダメらしい(こればかりは理解できない)。‟Gap year”というのは、これも欧米では珍しくないらしいのだが、高校卒業程度で、将来を決める前に1年、仕事をしたり、インターンにいったり、留学に行ったりして、見聞を広める機会なのだそうだ。彼女は将来観光に漠然と関わりたいそうで、そのために英語を学ぼうと思ったそうだ。

 

羨ましいな、と思った。

 

自分より年下の彼女が、自立・自律出来る彼女が羨ましいと思った。それを無意識に行う彼女を羨ましいと思った。打算的でなく人を愛せる彼女が羨ましいと思った。

彼女を思い出すたび、素敵な思い出とちょっとの羨望が湧く。

 

スーザンは、私に自信と安心をくれた。当たり前だけど、年齢と成熟度なんて比例しないと教えてくれた。

私がカナダに行ったのは、逃げてしまった、という部分が多かったのかもしれない。いや、確実に逃げた。

私は彼女にその旨を伝えたことがある。“あなたがいかに自分の意見をもっていて実行していて、私は羨ましい”と。すると彼女は、“あなたのもGap year みたいなもので、逃げではない。あなたは確かにカナダにいて、上級者のクラスに入って、仕事も見つけて、何も問題はないじゃない”と言う。悩んで、考える時間こそGap yearだと。私は当時驚いてしまって、泣きそうになってしまって、精一杯のありがとうを伝えた。

 

彼女との思い出を少し書いておこう。彼女はユーモアもあった。お別れのメッセージを書いてもらった時、“オランダにおいで!みんな良い人だから!私以上の人間はいないけど!”とのことだったが、全く嫌味が無い。

彼女の最後の日、Deep Coveに一緒に行って夜まで過ごした。写真を撮りあって、美味しい菜食料理を食べて公園で語り合った。本当に素敵な一日だった。あなたに会えて、私は前に進めたのではないかと思う。ありがとう。

 

彼女に会いたい。今の英語学習の動機付けでもある。あ、彼女はオランダ語圏のオランダ人なのでオランダ語も勉強したいな。

とはいえ、SNSで繋がっている今、節目節目に連絡を取り合っている。彼女が現実にいたという証拠だ(笑) 

私は君を忘れないよ、スーザン。君にとって、私がカナダで出会った人間のうちの一人に過ぎないとしても、君が私に与えた影響は計り知れない。ありがとう。

 

 

 

 

日本大好き!!日本って素晴らしい!!

と、謳うテレビ番組が苦手だ。とくに外国の方を使ってのもの。

どうしていったい、最近こんな内容の番組が増えたのだろうか。

 

私たちは何をそんなに恐れているんだろう?

 

日本は、モノマネが得意な国だ。まねた物事をさらに発展させることが得意な国だ。それは我々は知っているし、恩恵を受けてきた。料理が良い例だ。カレーなんて本場の方が見ればカレーではないと否定するレベルではないか?それなのに、高い高い棚に上げて外国の寿司を馬鹿にするのか。そもそも生魚を食べる文化が無い国の方々が、寿司を知り食べてくれるのは嬉しいことだと思うのは私だけか。

 

最近、そんな他国が変化させた日本の文化を訂正したり、日本の感想を外国の方に伺う番組が多いと感じる。もちろん日本をほめてもらえるのは嬉しい。でも、日本ってすごいですよね?と押し付けるのは違う。そこに誇りはないように感じる。

文化や伝統は変化する。まるで生き物のように。それが文化だと思う。変わらず維持し続けることも大事だが、如何せん我々は変化に恐怖を抱きすぎている。

 

私は自国の文化に寛容な、日本を好きになりたい。

あけましておめでとうございます

2018年が来てしまった。

信じられるだろうか??

光陰矢の如し、とは言うがもう矢ではない。光そのものの速さに感じる。

私は2018という数字がどうしても好きになれない。何故だろう、と考えてみると、どうやら何もない偶数だからのようだ。オリンピックのある年の数字は嫌いではない。とはいえ、2014年にそこまで嫌悪感は無いので、もしかしたら私は“8”という数字が苦手なのかも…しれない。

私は奇数が好きだ。強いて言うなら素数がたまらなく好きだ。数学科とかいう訳ではないので専門的に好きではなく、あの特殊性が好きなのだ。そう、2017年は素数だった。だから毎日の変哲もない日常が特殊に感じられたのかもしれない。次回の素数は2027年だそう。鬼に笑われようが、頑張って迎えたい。

 

冒頭に意味の分からない話を書いてしまった。

さてさて、、、今年、私は何を成し遂げるだろう。

第一に、就職。就職してみせる。

第二に、ここからぐんと小さい(私にとっては大きい)目標になるのだが、自炊をしっかりすること。

第三に、こたつで寝ないこと。

第四に、お金にルーズにならないこと。

第五に、勉強すること。学生の本業じゃないか?と思う。うん、本当にあんなに時間があったのに、なんで色んな勉強をしなかったのか。昔の自分に一言言えたら確実に諭すことでしょう。

第六に、自分の特性と上手に向き合う。私はできる子だから、できる子をキープしながら、頑張っていこう。まだ時間はある。

 

今年も、良い年にします。

女性向けです

突然ですが

 

カナダに旅行にいらっしゃる予定の女性の皆さん、生理用のナプキンは持ってきた方がいいですよ。非常に後悔しています。

カナダのやつは正直おすすめしません。肌が弱い人は特に持ってきた方がいいと思います。そうです。荒れるんです。日本人ショップに行けば日本製のは買えるのですが、7ドル近くするので、私は買いたくないですね。

 

他に持ってきた方が良いもの…

冬のVancouverしか知らない者なのであれですが、傘は必要ですね。とはいえ、ドラッグストアに10~25ドルで売っているので忘れても大丈夫です。

Vancouverは基本的になんでもそろっているので、困ることは無いかもしれません。セブンイレブンもあるし、日本人も3分に一回はすれ違うほどウヨウヨしているので。

 

次回は交通事情についてかいてみようかな。