雨ニモ、負ケズ。

人生は、逃げてばかりじゃ勝てないんだね…

オランダ出身の女の子

名を、スーザンという。

これは愛称なのだが、ここではスーザンでいきたいと思う。

 

彼女とは、カナダに留学中に出会った。私が苦労してやっと入った語学学校の上級者クラスに彼女はいた。19歳でGap yearを使ってカナダに2か月滞在していたらしい。

正直に言おう。私は最初、彼女が怖かった。というのも、当初私が海外に滞在しているのに欧米人は日本人を馬鹿にしているのではないか?というくだらない偏見がまだあったのだ。彼女が私に優しくしてくれるのは英語がつたない私に気遣ってくれているのかな、と思っていた。…勿論そういう面はあったと思うが、彼女は全ての人に優しく愛し愛された。彼女は欧州人に多いベーガンで、いわゆる菜食主義だ。動物を殺して食べるのがダメらしい(こればかりは理解できない)。‟Gap year”というのは、これも欧米では珍しくないらしいのだが、高校卒業程度で、将来を決める前に1年、仕事をしたり、インターンにいったり、留学に行ったりして、見聞を広める機会なのだそうだ。彼女は将来観光に漠然と関わりたいそうで、そのために英語を学ぼうと思ったそうだ。

 

羨ましいな、と思った。

 

自分より年下の彼女が、自立・自律出来る彼女が羨ましいと思った。それを無意識に行う彼女を羨ましいと思った。打算的でなく人を愛せる彼女が羨ましいと思った。

彼女を思い出すたび、素敵な思い出とちょっとの羨望が湧く。

 

スーザンは、私に自信と安心をくれた。当たり前だけど、年齢と成熟度なんて比例しないと教えてくれた。

私がカナダに行ったのは、逃げてしまった、という部分が多かったのかもしれない。いや、確実に逃げた。

私は彼女にその旨を伝えたことがある。“あなたがいかに自分の意見をもっていて実行していて、私は羨ましい”と。すると彼女は、“あなたのもGap year みたいなもので、逃げではない。あなたは確かにカナダにいて、上級者のクラスに入って、仕事も見つけて、何も問題はないじゃない”と言う。悩んで、考える時間こそGap yearだと。私は当時驚いてしまって、泣きそうになってしまって、精一杯のありがとうを伝えた。

 

彼女との思い出を少し書いておこう。彼女はユーモアもあった。お別れのメッセージを書いてもらった時、“オランダにおいで!みんな良い人だから!私以上の人間はいないけど!”とのことだったが、全く嫌味が無い。

彼女の最後の日、Deep Coveに一緒に行って夜まで過ごした。写真を撮りあって、美味しい菜食料理を食べて公園で語り合った。本当に素敵な一日だった。あなたに会えて、私は前に進めたのではないかと思う。ありがとう。

 

彼女に会いたい。今の英語学習の動機付けでもある。あ、彼女はオランダ語圏のオランダ人なのでオランダ語も勉強したいな。

とはいえ、SNSで繋がっている今、節目節目に連絡を取り合っている。彼女が現実にいたという証拠だ(笑) 

私は君を忘れないよ、スーザン。君にとって、私がカナダで出会った人間のうちの一人に過ぎないとしても、君が私に与えた影響は計り知れない。ありがとう。